松尾一彦

简介: 小档案
松尾 一彦(まつお かずひこ、本名同じ - )は、日本のシンガーソングライター。オフコースの元メンバー(主にギター、ハーモニカ、ボーカル、コーラス担当)。
小简介
、秋田県山本郡八森町(現・八峰町)生まれ。血液型はA型。音楽に関してはかなり早 更多>

小档案
松尾 一彦(まつお かずひこ、本名同じ 1954年8月7日- )は、日本のシンガーソングライター。オフコースの元メンバー(主にギター、ハーモニカ、ボーカル、コーラス担当)。
小简介
1954年8月7日、秋田県山本郡八森町(現・八峰町)生まれ。血液型はA型。音楽に関してはかなり早熟で、小学4年のときにベンチャーズやビートルズのレコードを買い、5年のときには既に加山雄三の「君といつまでも」をウクレレを弾きながら歌っていたという。作曲を始めたのもこの頃。中学生の頃からバンド活動を始め、能代高校進学後も音楽に力を入れていた。
高校3年時に大間ジローと出会う。大間らとともにロックバンド「ザ・ジャネット」を結成。ジャネットをプロデュースしていたのはオフコースのレコーディングディレクターも務めていた武藤敏史。1974年デビュー。シングル4枚をリリースするが、大成することなく1975年冬解散。ジャネット時代の芸名は「松尾ジュン」。大間によれば、松尾はこの名前を気に入っておらず、今でも大間がジャネット時代の芸名である「ジロー」を愛用しているのに対し、松尾をこの名で呼ぶと大変嫌がるという。
ジャネット解散後は東芝EMIの配送アルバイトなどを経て、武藤、大間から誘われオフコースのアルバム「SONG IS LOVE」でハーモニカ演奏を手伝ったのをきっかけにオフコースに参加。1979年8月1日正式メンバーになる。オフコースでは小田和正、鈴木康博に次ぐ曲を作れるメンバーとしての地位を築いた。特に1983年に鈴木が脱退した後はオフコースにアクセントをつける役割としてハードロック調の曲を多数提供した。
また、作曲活動も熱心に行い、岩崎宏美、稲垣潤一、柏原芳恵など多数の歌手・アーティストに曲を提供した(詳しくは楽曲提供の項参照)。
オフコース解散後は吉田拓郎のバックとしてツアーに帯同(清水仁も帯同している)。1992年ソロ活動再開。1994年、女性ボーカリスト・福田康子とユニットを組む。同時期、斉藤和義のアルバム制作に編曲、演奏で参加。1997年、コルツのレコーディングにアドバイザリープロデューサー、編曲で参加。コンサートツアーにも演奏で参加。
1999年3月に元オフコースの清水仁、大間ジローとともにAcoustic Beatles Club(A.B.C)を結成。自らの音楽の原点であるビートルズをアコースティックにやってみようというコンセプトで活動している。
2004年11月 上記のAcoustic Beatles Club(A.B.C)と並行して森川由加里、土屋剛と共にTHE UNITという名のユニットも結成してライブ活動をしている。
2010年10月1日、セルフカバーシングル「せつなくて」をリリース予定。ピアノ伴奏・ピアノアレンジに小田和正が参加。これが小田との初のコラボレーションであり、オフコース解散以降小田と音楽活動をした元メンバーは、現時点で松尾のみである。なお、カップリング曲は2つあり、そのうちの1曲「哀しき街」には清水仁がコーラスで参加。

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