高中正義

简介:  小档案
高中 正義(たかなか まさよし、 - )は東京都出身のギタリスト、ミュージシャン、音楽プロデューサーである。
 
小简介
中国人の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は雀荘である。武蔵工業大学付属高等学校卒業 更多>

 小档案
高中 正義(たかなか まさよし、1953年3月27日 - )は東京都出身のギタリスト、ミュージシャン、音楽プロデューサーである。
 
小简介
中国人の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は雀荘である。武蔵工業大学付属高等学校卒業。 日本のロック界、フュージョン界を代表するギタリストの一人である。使用するギターは本人の特注色であるラグーンブルー(当時のオリジナルはレッドサンバーストとブラウンサンバーストのみ)のヤマハのSGが代表的。昨今はフェンダー社製のストラトキャスターモデルを主に使用しているがこの理由について本人は「(歳をとって)SGが重く感じるようになってきたため」としている。ヤマハSGは「音が太いのがいい。特にディストーションを掛けると安定した感じになる」と評価していた。フェンダー・カスタム・ショップで製作、限定で発売された「TAKANAKA-Stratocaster」は自身が所有する1960年代のストラトキャスター(3トーンサンバーストのメイプル指板使用というレアな仕様。アルバム「TAKANAKA」のジャケットのギターである)を元に製作されている。
演奏スタイルはインプロヴィゼ-ションよりも楽曲そのもののまとまりを重要視しておりジャズやフュージョンというよりも様式美を重んじるタイプのロックのそれに近い。 ライブにおいてもいわゆるアドリブと呼ばれる部分も初出の音源のものに準じているのが基本であり、長尺の曲の後半でスリリングな演出を仕掛けることが多い。 彼にとっては「アドリブ」部も3メロ、4メロであってそれも含めて作曲されたものが彼の作品なのである。
当初ソロデビュー時は自分でヴォーカルを取るつもりであったが、「先天的に音痴みたいで(笑)」との事から、ギターでメロディを取る現在のスタイルになったという。ヴォーカリストを迎えた曲も存在するが、基本的には自身のギターがメインとなっている。これについても「上手いヴォーカルを入れればいいんだけど、そうすると自分がメインじゃなくなるから嫌なの(笑)」と語っている。アルバムによってはラッパーを迎えたヒップホップ風の楽曲や、アコースティック色の強いアルバムなど豊富なバリエーションがあるが、基本的には本人のギターがヴォーカルの代わりとしてメインの位置にいるスタイルが下地となっている。
プロデビューは、成毛滋がつのだ☆ひろと結成したFried Eggのベーシストであった。加藤和彦が結成したサディスティック・ミカ・バンドからギタリストとして活躍していた。サディスティック・ミカ・バンド解散後は、バンドのメンバーであった高橋幸宏、後藤次利、今井裕らとサディスティックスを結成し、数枚のアルバムを発表するが、メンバー各自の活動が忙しくなり、数年後に自然消滅(九段会館で解散コンサートは実施)。同時期、スタジオミュージシャンとしても活動し、特に筒美京平には気に入られ、多くのアイドル歌手のレコーディングに参加している(クレジットされていないことも多い)。その後、井上陽水・矢沢永吉等のサポートギタリストを経る一方、サディスティックス時代からソロにて活動している(「SEYCHELLES」が「Sadistics」の前にリリースされている)。ちなみに高橋幸宏や小原礼とは高校生のころからの知り合いらしい。
バハマに永住権を持ち現在は軽井沢在住。元モデルの女性と結婚し子供は女の子が一人。
昔からラメのジャンプスーツなどのド派手のファッションで有名。「とにかく派手にしてくれ」とオーダーメイドで洋服屋に作らせたと言う。また1970年代から金髪や緑髪にもしており、被り物もよく被っていた。近年は派手な衣装はあまり着なくなったが、サーフィンギターというサーフボードをくり抜いて作ったギターをライブ等でよく使っている。最近ではフェンダーのリゾネイターギターのトップに鉄道模型の線路を敷いた(実際に自動往復で走らせる事ができる)ギターを演奏して、観客へのサービス心は健在である。
1981年、イタリアの画家ウル・デ・リコの絵本から得たインスピレーションによって制作したコンセプトアルバム「虹伝説」を発表。日本武道館を皮切りに全国ツアーをおこない、アルバム、ライブは、ともに大反響で、「時」のTAKANAKAブームを巻き起こした代表作となった。また、第23回日本レコード大賞企画賞を受賞した。 翌年は横浜スタジアムを皮切りに、サンタナとのジョイントライブを敢行、リハ不足の中、真夏の熱狂ライブを彩った。 翌々年「ギターファンタジアツアー」を大阪・横浜で行い、ツアーメンバーにアメリカのスーパー音楽プロデューサーのナラダ・マイケル・ウォルデンがドラムとして参加した(パーカションはシーラ・E)。なお、海外ミュージシャンとの交流は過去にもアルバムでリー・リトナーやリトル・リチャードで果たしている。この他にも、13キャッツやデイヴ・コーズ、マイアミ・サウンド・マシーン等様々な海外アーティストがアルバムやライブに参加している。
主な代表曲に「憧れのセイシェル諸島」、「READY TO FLY」、「DISCO B」、「BLUE LAGOON」、「ALONE」、「MY SECRET BEACH」・「SAUDADE」(共に1980年度日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車である5代目マツダ・ファミリアのCM曲)、「我ら星の子」、「渚・モデラート」(東芝ビデオデッキのCM曲)、「エビダウロスの風」、「BLUE STRIPE」(α-STATION(エフエム京都)CHUMMY TRAINの挿入曲)等がある。
 
大事件
1970年代の後半から1980年代初頭にかけて、往年のギター少年を魅了したラグーンブルーのヤマハSGにまつわるエピソードとして、ヤマハが当時の高中の人気にあやかり、ブルー系のSGをリリースしたい旨を高中本人に伺いを立てていたが、高中は愛器との同色どころかブルー系そのもののSGのリリースを渋っていたと言う話がある。そのせいか、ヤマハが初めてリリースしたブルー系のSGは、本人のものとは似付かぬメタリックを帯びたものであり、しかもその色が使用されたのはポジションマークやバインディングが極端に違う格下のモデルであったことが、この話に信憑性を持たせている。また、彼が当時SGに差し込んでいたコンプレッサーDan ArmstrongのORANGE SQUEEZER(リー・リトナーなども使用)も飛ぶように売れた。
その後20年近くを経た1998年に、初の公式高中モデル「SG-2000MT」が220本限定で発売されるが、この際にもまったく同色のブルーは認められず、オリジナルよりもやや明るめの色(リリース時の色名は便宜的に「ラグーンブルー」とされている)が指定された。しかし自身の公式『TAKANAKA weblog(2010・2・9)』の中でファンの一人が『あのブルーのSG2000MTは盗難にあったと聞きましたが、本当ですか?』との質問に対し、『もう憶えてない、、です。 とにかく、無いです。』と返答している。またファンにとっては更に信じられない衝撃的な告白が続き『虹ペイントギターも無いとこみると、とうなんですかねえ?』『ってことは、回り回って誰か持ってるのかなあ』と高中氏らしいひょうひょうとした受け答えで、少なくとも伝説のギターが現在高中自身の手元には無いことが明らかにされた。
2007年には「SG-T」が発表された。これは当時の本人のスタイルに合わせ、1980年代から大幅なモディファイが加えられており、ベース器と見られるSG-3000的な装飾のほか、機能面では本来のハムバッキング2ピックアップの中間にシングルコイルタイプのセンターピックアップが設けられている点と、大胆なアーム奏法に耐えうるロック式トレモロユニットが搭載されている点がすぐに目を引く。ボディ色はラグーンブルーというよりは濃いブルーのサンバーストに近く、T、A、K、Nの4文字のアルファベット(言うまでもなく本人の名前)とパームツリーのモチーフが、小型の金色のインレイでランダムにちりばめられている。このデザインは高中本人が映画『サイコ2』のあるシーンから着想したものという。また、初期に製作されたアーム付きの高中モデルSGの中には、ランダムに散りばめられたインレイの中に、細かい短冊状の物(別名「フリカケ」)もあった。アーム付きの高中モデルSGとしては最後となったSG-T2の中には、アルバム『虹伝説Ⅱ』のアートワークのプリントをボディに貼り付けたSG-T2も存在している。
大ブームのひとつの到達点となった「虹伝説」ツアーにおいては、衣装を含め道具類にも数々の虹色の演出が行われたが、このとき虹色にペイントされたSGは、本人がソロ活動初期から使ってきたレッドサンバーストのSGであると言われている。
ほぼ現行型となったヤマハSGがトレードマークとなったギタリストは、カルロス・サンタナ(SG-175)やカシオペアの野呂一生もその代表格であるが、このような経緯に鑑みると、こと国内においてこのSGが現在に至るまでヤマハのエレクトリックギターのフラッグシップとなった最大の功績は、間違いなく高中のものであると言っていい。
2005年頃には、ヤマハから提供を受けたSGの試作品を使用していた。従来のSG-Tと比べ、ロック式トレモロユニットが廃され、通常のSGと同様のストップテールピースとブリッジという構成に改められ、ピックアップセレクターユニットの位置が変更、さらにアクティブサーキットが廃された非常にシンプルな構成となった。またボディの厚みも薄くなり、大幅な軽量化が計られていた木目の美しいメイプルを使用したギターで市販が望まれていたが、結局フェンダー・ストラトキャスターに取って代わられ、発売される事は無かった。