Sing Like Talking

简介: 小档案
佐藤竹善(さとう ちくぜん) ボーカル、キーボード、ギター、作詞、作曲
藤田千章(ふじた ちあき) シンセサイザー、バッキングボーカル、作詞、作曲
西村智彦(にしむら ともひこ)ギター、バッキングボーカル、作曲
元メンバー更多>

小档案
佐藤竹善(さとう ちくぜん) ボーカル、キーボード、ギター、作詞、作曲
藤田千章(ふじた ちあき) シンセサイザー、バッキングボーカル、作詞、作曲
西村智彦(にしむら ともひこ)ギター、バッキングボーカル、作曲
元メンバー
阿部鼓太郎(ベース)
佐藤誠吾(ドラムス) 後にスタジオミュージシャン。「My Desire」などでドラムスを担当。
佐藤達郎(プログラミング)後に「Dancin' With Your Lies-I'm Hot Version-」でスクラッチを担当。
大事件
「514バンド」を前身[1]として、1985年末に東京都で結成される。結成当時のメンバーは佐藤竹善、藤田千章、西村智彦、阿部鼓太郎、佐藤誠吾、佐藤達郎で、まだバンド名は決まっていなかった。
Sing Like Talkingというバンド名は「サウンド・コンテスト '86」に出場するために佐藤竹善が一時的に付けた名前だった。そのコンテストで「TRY AND TRY AGAIN」を歌いグランプリを獲り、レコードデビューすることが決まった時に、プロデューサーの武藤敏史の「そのままでいい」という後押しでバンド名が定着することになった。また、1987年末、デビューアルバムのレコーディングを始める直前に、阿部鼓太郎、佐藤誠吾、佐藤達郎が音楽性の問題で脱退している。
1年弱を要したレコーディングの後、1988年9月30日にファンハウスからシングル「Dancin' With Your Lies」でデビュー。同年11月1日発売のデビューアルバム『TRY AND TRY AGAIN』のCD帯にはTOTOのドラマー、ジェフ・ポーカロの「日本にこんな凄いバンドが現れるとは思わなかった、是非一緒にライブをやりたい」といった趣旨の推薦文が載り、「デビューライブ」2daysの2日目にジェフ・ポーカロ(ドラムス)ネイザン・イースト(ベース)がサポート・ミュージシャンとして参加した(なお、このデビューライブ2日目で演奏したスティーヴィー・ワンダーのカヴァー、「STAY GOLD」が後にベストアルバムの『REUNION』に収録されている)。1992年のジェフ・ポーカロの急死の際には、追悼シングル「My Desire ~冬を越えて~」を急遽リリースしている(なお、この曲のレコーディングに際して、ドラムスで参加した佐藤誠吾の叩いているドラムセットは、まさにデビューライブでジェフ・ポーカロが使用したものであった)。
1990年代は、ロッド・アントゥーン(『III』~『ENCOUNTER』)、キャット・グレイ(『togetherness』~『Welcome To Another World』)をプロデューサーに迎え、ソウル・ファンク・ジャズ・ラテン・フュージョンなどの様々な音楽を貪欲に取り込みつつ、日本のみならず世界の名だたるスタジオ・ミュージシャンを迎え、バックを固めている。
この時期は、シングルヒットが少ない割にアルバムでは一定のセールスを記録していたために「アルバムミュージシャン」とも揶揄されることがあったが、ジャズ/フュージョン系のファンの心を掴み、雑誌「アドリブ」のファン投票で好きな日本のバンド部門1位を独占し続けていた。
『encounter』から『Welcome to Another World』の頃まで、シングルのカップリングに西村智彦のフュージョン系のインストゥルメンタル曲を収録することが多く、それらの楽曲は後に西村智彦のソロアルバムに収録されることとなった。
1996年4月1日に初の日本武道館公演を行い、その際にはDIMENSION、ティポグラフィカ、空と海と風と…などの日本屈指のフュージョンバンドが大挙サポートで参加している。このライブは後にビデオ『Amusement Pocket at 日本武道館 4.1.1996』として発売されている。
ツアー名は1992年から「AMUSEMENT POCKET」のタイトルで統一されている。「AMUSEMENT POCKET」のテーマソングとして、アルバムでは聞けないライブのみの曲「Utopia」を演奏することが常だったが、2000年前後から演奏されることは無くなった。この「Utopia」は前述の『Amusement Pocket at 日本武道館 4.1.1996』でもカットされている。
メンバーのソロ活動や課外活動も比較的多く、佐藤竹善は小田和正のコーラスやコカ・コーラのCMソング、藤田千章はサモンナイトなどのゲーム音楽、西村智彦は柴田淳のサポートなどで知られている。
1997年秋からメンバーのソロ活動が活性化し、バンドとしての作品のリリースは激減した。活動再開後にはロックを前面に押し出したサウンドに変貌を遂げ、2001年の復帰作『Metabolism』では旧来のサウンドを好むジャズ・フュージョン系の多くのファンが去っていった。
2002年秋にファンハウスからユニバーサルミュージックに移籍。2004年春からは佐藤竹善のソロ活動の専念のため、再びバンドは活動休止状態になり、現在に至っている。