小林幸子

简介: 小档案
姓    名 小林幸子(こばやし さちこ)
出生日期
出 生 地 新泻县新泻市中央区
血    型 A型
身    高 165cm
职    业 歌手、演员
经纪公司 日本コロムビア→ビクターエンタテ 更多>

小档案
姓    名 小林幸子(こばやし さちこ)
出生日期 1953年12月5日
出 生 地 新泻县新泻市中央区
血    型 A型
身    高 165cm
职    业 歌手、演员
经纪公司 日本コロムビア→ビクターエンタテインメント→テイチク→ワーナー・パイオニア→日本コロムビア→サチコプレミアレコード(自社レーベル)
事 务 所 幸子プロモーション
代表作品 泣かせ雨、雪泣夜、悲しみの帐、楼兰
艺人简介
小林幸子(こばやし さちこ),1953年12月5日出生于新潟县新潟市中央区,日本歌手、演员。
作品有《泣かせ雨》、《雪泣夜》、《悲しみの帐》、《楼兰》等。
演艺经历
1963年,时年9岁(小学四年级)参加TBS电视节目「歌まね読本」时,被著名作曲家古贺政男发现。1964年,发表单曲《说谎的海鸥》(ウソツキ鴎)出道,卖出20万张,被称为「天才少女歌手」、「云雀二世」。
1979年首次参加NHK红白歌合战(第30回),演唱曲目为《追忆酒》(おもいで酒)。直至2011年的第62回,已连续出场33次。
於1988年(第39回)以及2004年(第55回)担任红白歌合战的压轴,演唱曲目都是《雪椿》
从1985年(第36回)起,每年的红白歌合战(2004年·第55回,由於新泻地震除外),小林幸子都会身穿华丽的服装登场。其与同样身著华丽服装的美川宪一的「比美」成为每年红白歌合战的话题。
2011年9月宣布年底结婚。
口袋妖怪TV版第一部的片尾曲,ED3《口袋里的幻想》(《ポケットにファンタジー》)也是由小林幸子演唱。
2012年8月,与原唱片公司古伦美亚音乐娱乐解除合约,并宣布自组唱片公司「Sachiko Premium Records」发行新碟,由资深音乐人佐田雅志(さだ まさし)担任新曲作曲及监制。首张作品《茨之木》(茨の木)曾成为了Oricon公信榜演歌部门周间第2位及独立音乐部门周间第1位,亦是当时少有由独立音乐公司制作能售出接近三万张的销量,但由於发售量始终和以往在大唱片公司有分别,间接令她落选於该年的红白歌合战,结束了连续33年出场的记录。亦成为了後来NHK解释小林幸子落选的原因。
 
プロファイル
名    前 小林幸子(こばやし さちこ)
誕 生 日 1953年12月5日
出 身 地 新潟県新潟市中央区
血 液 型 A型
身    長 165cm
職    業 歌手、俳優
レーベル 日本コロムビア→ビクターエンタテインメント→テイチク→ワーナー・パイオニア→日本コロムビア→サチコプレミアレコード(自社レーベル)
事 務 所 幸子プロモーション
アーテイスト紹介
小林 幸子(こばやし さちこ、1953年12月5日 - )は、日本の演歌歌手、女優、タレント、実業家。本名、林 幸子(はやし さちこ)。旧姓、小林。血液型はA型。身長165cm。
漫画家の小林まこととは親戚である。
芸能経歴
新潟県新潟市中央区出身。1963年、9歳の小学4年生の時にTBS『歌まね読本』[注 1]でグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトされる。当時はテレビの音楽番組などは生放送であり、夜7:30のテレビ出演というのは、当時の子供にとっては遅い時間帯であった。この9歳の少女ということも「美空ひばり」を彷彿させ、その「ひばり」のものまねも他の大人の出場者を圧倒する抜群の歌唱力と非常に似ているものまねの出来で、後に「第二のひばり」と言わせるものであった。これが古賀を唸らせ文句なくグランドチャンピオンを獲らせたのである。
翌1964年には新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属し、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューする。デビュー曲がいきなり20万枚のヒット曲となる。「天才少女歌手・ひばり二世」として、大映映画では子役としても活躍した。当時まだ9歳の子供だったために同期で親友の都はるみと楽屋内でワイワイ騒いでいたところ、ある先輩歌手が激怒し、島倉千代子にすぐに注意して来るよう命じ、島倉が仕方なしに小林と都の元へ注意に行き、「お幸、楽屋というところはお仕事をする場所でもあるし、ステージに立つ前の神聖な場所なのだから騒いだりするところじゃないのよ」と諭したという[1]。小林はその当時から島倉のことを「母さん」と呼び慕い、島倉も小林を「幸」と呼び、亡くなるまでの50年間実娘のように可愛がられて大変親交が深かったという。
1966年7月30日から1968年1月27日まで日本テレビ『九ちゃん!』に『チビッコトリオ』としてレギュラー出演している。
1968年にはNET(現:テレビ朝日)で放映された青春ドラマ『青い太陽』に主演、背泳ぎでオリンピック出場を目指す女学生を演じ、同作の主題歌(エンディング曲)と挿入歌も歌う。しかし、歌手業ではヒット曲が続かず、またお手本としていたはずの美空ひばりの母親から、あまりにもひばりを模倣しているとの嫌悪感から敬遠され仕事が激減していき、15年の長い不遇が続く。当時、興行の世界を牛耳っていた山口組三代目に娘同然に可愛がられているひばりに嫌われることは致命的なことであった。しかし、後年『おもいで酒』の大ヒット後に音楽番組共演やドラマ共演などが縁となり、とても可愛がってもらったと語っている[3]。ドラマ撮影時はスタジオ以外に街中や繁華街などでもロケをしたが、万一ひばりの身に何かあれば大変だと思い、周囲を気にしながら演技をしていたところ、ひばりに勘づかれ、「幸子ありがとう。私の心配をしなくても全然大丈夫よ!」と逆に気遣われてしまったという。
低迷期には15年間に渡って一人で全国各地を行脚し、地方興行の中で人に言えぬ苦労を経験した。昼間は各地の興行を行いながら地元のレコード店やラジオ局、有線放送局などへ一人でキャンペーン廻りをして、夜になると毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街を泥酔客に絡まれたりしながら歌い廻っていた。未成年だった時は20歳と年齢をごまかして深夜の営業を行っていた。
その間には小林幸子(日本コロムビア)→小林さち子(ビクターエンタテインメント)→岡真由美(テイチク)→小林幸子(ワーナー・パイオニア)と幾度も改名したりレコード会社を移籍した。過去にはサンミュージックプロダクションにも所属していた。
1974年には第一プロダクションに移籍する。低迷時の1977年には雑誌平凡パンチのグラビア内でセミヌードを披露した。1979年に『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついてついに200万枚の大ヒットをする。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たす。『全日本有線放送大賞』グランプリ、『第21回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に輝く(『おもいで酒』のレコード売り上げ枚数は大賞曲『魅せられて』を上回る。この年の『ザ・ベストテン』(TBS系)年間1位は『おもいで酒』である)。1978年の大晦日は熱海へ興行に来ていて、終了後に小林のマネージャーやスタッフと一緒に紅白を見ながら「来年こそは絶対にヒット曲を出して紅白へ出たいな!」と話したところ、スタッフ達に「幸っちゃん、絶対無理だよ!!」と笑われてしまったが、翌年にまさか本当にヒット曲を出せて初出場できたのが夢のようだったと『いつみても波瀾万丈』内で語っていた。
1980年にはシングル『とまり木』も大ヒットした。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』(美樹克彦とのデュエット曲)、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たし、1992年 - 2009年まで紅白での美川憲一との派手な衣装対決は紅白恒例の話題作りとなっていた(美川は2010年以降は出場していない)。美川とは古賀政男の元で2人がデビュー前後から一緒にレッスン指導を受けていたことで、互いの年齢は離れているが50年前からプライベートでも親交が深く、現在も「憲ちゃん」「幸ちゃん」と呼び合い、音楽番組以外にもバラエティ番組などに仲良く出演するなどデビュー当時からお互いの低迷時の苦労等を全て知り尽くしている。
1983年5月にはロサンゼルス、ブラジルなどで初めての海外公演を行い、新宿コマ劇場で初の単独座長公演を行った。
1987年には、第一プロダクションから違約金2億円で独立、個人事務所の幸子プロモーションを設立する。
1988年、紅白に10回連続出場。自身初となる紅組トリを務める。
1993年、歌手生活30周年を迎えNHKホールにて記念リサイタルを行う。同年12月、紅白に15回連続出場を果たす。
1996年、ワーナーミュージック・ジャパンが演歌部門を撤退したのに伴い、古巣の日本コロムビアに移籍。
1997年、第9回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。同年にテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマソング『ポケットにファンタジー』を歌い、以後何度かポケモン関連の活動を行っている。『ポケットにファンタジー』がテレビ初放映されたのはポケモンショックの回であった。同年にはイマクニ?、レイモンド・ジョンソンとのユニット・スズキサンとしてシングル『とりかえっこプリーズ』を発売。ポケモンカードゲームのCMソングとして流れた。
1998年、芸能生活35周年を迎える。ジャズの殿堂ブルーノート東京にて、演歌歌手としては初のライブ「35th ANNIVERSARY Boogie&Blues」を開催。『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のエンディングテーマソング『風といっしょに』を担当。そして、同年の『第49回NHK紅白歌合戦』では『風といっしょに』を熱唱。また、この翌年正月に放送されたポケモンの音楽を紹介するSPでこの時着た衣装の前で同曲を熱唱した。
1999年、覆面歌手『Satchomo(サッチョモ)』としてアイフルのCMソング『お地蔵サンバ』を発売。Satchomoは暫く正体が明かされなかった。新宿コマ劇場にて「華麗なる幸子の世界」シリーズがスタート。紅白に20年連続出場を果たす。
2000年、日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨受賞。
2001年、博多座で女性歌手初の座長公演を行う。『夢の涯て〜子午線の夢』で、日本レコード大賞編曲賞受賞。
2003年、芸能生活40周年を迎える。親友の美川憲一とともに、京楽産業のCR「華王」のキャラクターを務める。新潟県加茂市に「雪椿」の歌碑が建立。藤田まさと賞大賞受賞。紅白に25回連続出場を果たす。
2004年、第55回NHK紅白歌合戦で自身2度目の紅組トリ、初の大トリを務める。
2005年、新潟市、長岡市より特別感謝状を授与。日本レコード大賞特別表彰。
2006年、第27回松尾芸能賞大賞受賞。国土交通大臣より感謝状を授与。紺綬褒章を受章。名古屋・御園座にて初座長公演。
2007年、長岡市に『越後絶唱』の歌碑が建立。新潟市より、「新潟市観光大使」に任命。
2008年、芸能生活45周年を迎え、全国3劇場で座長公演を行う(御園座、博多座、明治座初座長)。文化庁芸術祭の大衆芸能部門で優秀賞を受賞。『第59回紅白歌合戦』で45周年記念曲『楼蘭』を熱唱、紅白に30回連続出場を果たす。
2009年1月1日、国立競技場にて開催された、第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会の開会式で国歌君が代を歌唱した。伊東四朗・熱海五郎一座合同公演「日本映画頂上決戦」にゲスト出演、劇中には大婦人と呼ばれる小林幸子の顔をした高さ7メートルの大人形が登場、大婦人は公演終了後、新潟市のNEXT21に展示されている。『第60回NHK紅白歌合戦』に紅組歌手初の31回連続出場を果たす。
2010年1月16日と翌17日には、台北市の台北国際会議中心でコンサートを行い、1993年と2006年のNHK紅白歌合戦で披露された衣装を台湾の観客に披露した。
2011年4月7日には、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災して避難所生活を送る被災者を激励するために福島県相馬市を慰問。5月27日にも以前から交流があった大槌町の避難所を慰問。
2011年11月15日、再生医療などを手掛ける株式会社TESホールディングス代表取締役社長の林明男と電撃結婚。 2011年11月20日には東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手・陸前高田市と宮城・気仙沼市を慰問して2004年に中越地震で被災した故郷、新潟・長岡市(旧山古志村)に所有する田んぼ「幸子田」で10月に収穫した新米「幸子の復興米」2トンを所有する大型トラックに積んで贈呈した。
2012年5月1日、日本財団主催の「被災地で活動した芸能人ベストサポート」で表彰される。
2012年4月、小林は長年のビジネスパートナーであった幸子プロモーションの女性社長と専務を解雇した。この件で新曲『絆坂』は発売が無期限延期となった。
2012年8月20日、レコード会社・日本コロムビアと契約解除に合意。10月予定で当初小林自身の作詞・作曲による新曲をインディーズから発売することを考えていたが、10月17日に来年のデビュー50周年記念曲としてさだまさしに製作依頼していた『茨の木』を新曲として急遽発売した。先行配信日の9月27日には都内で新曲発表と新レーベル『Sachiko Premium Records(サチコプレミアレコード)』発足を発表。34年ぶりに各地をキャンペーン廻りするなどして、2012年末までに自主製作では異例の2万枚を売り上げている。
2013年2月24日には台湾で開催される伝統行事「台湾ランタンフェスティバル 2013」の開幕式典に、国賓級の待遇で日本人歌手としては初めて招かれた。また2月22日、23日には2回目となる台湾コンサートを開催した。
6月5日、前作『茨の木』に続き、さだのプロデュースで50周年記念曲『蛍前線』を、デビュー記念日の6月5日に発売した。 6月13日より、神奈川県横須賀市文化会館を皮切りにデビュー50周年記念コンサートツアーを開催した。
11月1日、横浜赤レンガ倉庫で「小林幸子&ソノダバンド LIVE〜岩谷時子を歌う」を開催してニコニコ動画で生中継された。12月31日から2014年の1月1日にかけて東京・ニコファーレ内からニコニコ生放送で「ラスボス小林幸子による年越しライブ&カウントダウン」が生放送配信された。「幸子城」と銘打った衣装やさまざまな映像演出で視聴者を驚かせた。
2014年8月17日、個人サークル「5884組」として第86回コミックマーケットに参加した。小林自らブースに立ってミニアルバムCD「さちさちにしてあげる♪」を頒布し、約2時間40分で用意していた限定1500枚のCDが完売した[9]。急遽9月17日に全国のアニメイト各店及びアニメイトオンラインショップにて限定発売されて、iTunesアルバム総合ランキングでも10位にランクインした。
11月17日には50周年記念コンサートのツアーファイナルとしてデビュー以来初めての日本武道館コンサート『50周年記念小林幸子in武道館〜夢の世界〜』を開催。過去に紅白歌合戦で使った豪華衣装3点を持ち込み、1993年の「ペガサス」、2006年の「火の鳥」、2010年の「母鶴」を再披露した。イルカがデザイン&プロデュースした振り袖を含む合計13パターンの衣装を用意して度々衣装チェンジを行いながら新曲「越後に眠る」など全27曲を歌った。当日の公演の模様はニコニコ動画により生放送された。
2015年、小林の母校である新潟市立栄小学校を含む4校が統合して4月に新設される新潟市立日和山小学校の校歌を作詞・作曲。歌詞には統合でなくなってしまう4校の校名を取り入れている。
3月22日、埼玉県所沢市の西武園ゆうえんち「西武園ゆうえんちイルミージュ点灯式」に出席して、1000本の桜がある同遊園地で「千本桜 (曲)」を歌唱した。 4月25日、千葉県幕張メッセで開催のイベント「ニコニコ超会議2015」でプロレスデビュー。対戦相手のボブ・サップと男色ディーノのタッグから、必殺技「ラスボス旋風」でフォール勝ち。ニコニコ動画により生放送された。
5月9日、奈良県薬師寺で「世界遺産復興祈願」コンサート
6月29日には「にいがた発信プロジェクト」の一環として、PRソング「にいがた☆JIMAN!」を「Negicco feat.小林幸子」名義で発表。小西康陽プロデュース。
7月27日、小林の声を元にして制作されたVOCALOID4対応のボーカル音源「Sachiko」発売。 8月16日、「コミックマーケット(コミケ)88」に「5884組」(こばやしぐみ)の団体名でサークル参加した。ミニアルバムCD「さちへんげ」は約2時間40分で限定2500枚が完売した。
10月11日、中川翔子のコンサートツアー東京公演にサプライズで登場して、中川とコラボユニットを組んで「しょこたん▼さっちゃん」として10月28日にシングル「無限∞ブランノワール」を発売前に初披露。
2016年、3月25日に催されたTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』(長年、ゲスト出演などを重ねていた)放送終了に伴う聴取者への感謝コンサートに出演。
4月10日放送回から、NHKBSプレミアム「ワラッチャオ!」の「アレンジ演歌道」のコーナーをうたのおねえさん役で担当。
紅白歌合戦におけるエピソード
小林は基本的にその年に発表した楽曲を歌唱している。
2000年の紅白に出場した際、「豪華衣装での出演は今回が最後」と公言したが、翌2001年も花をテーマに『Flower of dream』と題し、小林自身が花弁に扮し、自身の下に大人数を据えた豪華衣装を披露した。これは大型舞台装置を止めて人力に替えたというのが真相である。さらに、その次の2002年には大型舞台装置も復活した。
この時の小林の発言が「豪華衣装封印」とも取れるものであったため、「何故、豪華衣装を止めると言ったのに止めないのか?」「演歌歌手は嘘吐きが多い」と2001年の紅白のリハーサル終了後に記者会見を行った和田アキ子がその場で小林を批判し話題を集めた。この時は数多くの演歌歌手仲間の他に松山千春やさだまさしらの大物も小林に同情的な発言をした。
和田は続けて「出場歌手が発表されていないにも関わらず、どうして衣装制作ができるのか?」「もし、出場できなかったら、あの衣装はどうするのか?」「あれは衣装じゃなくて舞台装置」などと、豪華衣装があるが故に事実上小林の紅白出場が確約状態にあることに不満を示し批判していたが、それに対しては小林本人曰く「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならば直にはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと当時のワイドショーのインタビューなどで反論している。小林の個人事務所・幸子プロモーション関係者も一部週刊誌の取材時に、小林が豪華衣装を準備した状態で紅白落選した場合について「こちらが勝手に用意したものなので文句は言えない」とコメントしていた。
実際には2010年の紅白において、両軍ともにトリにポップスのグループ歌手を起用するなど「前年に60回のメモリアルを終えたので、新しい紅白は新しい時代の雰囲気で」と、NHKがそれまでとは違う構成にする方針をとり「豪華な衣装対決」を否定される形で美川憲一とも出場内定枠から漏れた際、美川はそのまま落選したが、小林は出場枠にくい込めた。
2004年の紅白出場に当たっては、同年の新潟県中越地震(2004年10月23日)発生後、小林は「辛く悲しい地震で苦労している方々の気持ちを思うと、自分が煌びやかな衣裳で歌を歌うわけにはいかない」と涙ながらに語り、豪華衣装を着用せずシンプルな和服に身を包み、新潟を舞台にした歌『雪椿』を歌い初の大トリを務めた。ちなみに紅白において、同年に小林が大トリを務めてから紅組歌手の大トリ起用は2014年の紅白で松田聖子が大トリを務めるまで10年間無く、且つ2000年代で紅組歌手の大トリは小林のこの回のみ。その後、この紅白で使用する予定にしていた豪華衣装は2005年1月25日の『NHK歌謡コンサート』で披露した。
それから3年後の新潟県中越沖地震(2007年7月16日)発生時も、小林は再び豪華衣装の封印を考えていたが、新潟の被災者からは「自粛しないで欲しい」との依頼が多数有った事も有り、従来通り豪華衣装を披露した。
紅白で使用した豪華衣装と大型舞台装置は、後になって地方のコンサートなどでも度々使っている。ただ、規模がNHKホールほど広くはないので、紅白使用時のままのサイズでは入りきらないため、若干小さめに改修した上で使っている。
2012年~2014年の3年間、紅白歌合戦に不選出となったが、2015年に4年ぶり特別出演としての紅白出場を果たした。
その他のエピソード
先述の通り、「小林幸子」は結婚前の当時の本名であるが、デビュー当時、師匠の古賀は『歌まね読本』での小林を知らない層を考慮して「夕波千鳥」という芸名を準備していた。
その師匠から小林は「歌でお腹いっぱいにはならないけど、人の心を温かくすることはできるんだよ」という言葉を授けられ、デビュー50周年を過ぎた今でも「自分の心に残る言葉」と語っている。
姉御肌であり演歌やポップスなどの後輩歌手への世話や面倒見などがとてもよいそうで、中でも後輩歌手の柏原芳恵を実妹の様に可愛がっており、柏原も小林を姉のように慕っている。柏原は『ザ・ベストテン2002』など様々な番組の中で「幸子姉さんには落ち込んでいる時に精神的に助けて頂いた」と感謝の念を述べている。また小林も「芳恵ちゃんはデビュー当時から変わらぬ初々しさで、とても可愛く、本当の妹の様に思っている」と返した。泉ピン子は美川憲一と同じく、互いの低迷時の苦労を知りつくしている親友であり、後輩の浅野ゆう子、グッチ裕三、コロッケはプライベートでも仲良しの親友でもある。中島啓江は生前20年に渡って小林を実姉の様に慕っていて可愛がっていたが、小林も突然の逝去に大変ショックを受けたそうで悲しみをこらえながらマスコミに追悼コメントを寄せている。
『おもいで酒』がロングヒットになり、『ザ・ベストテン』でも常連出場に成りかけた頃に、視聴者からの葉書で、いつもマイクを持つ人差し指が立っている(他の指は握っているが)という事の指摘があり、本人も何となく以前からそうやっていたという話であったが、今はその握り方ではなく人差し指でも握っている。後年、『速報!歌の大辞テン』では、「当時は、大勢の客の前で歌うのが初めてでとても緊張していて、マイクが震えないようにするためにあのように握っていた」とコメントした。
イケメン合衆国に出たとき、高田純次によって紅白でつかった衣装が被害をくらった。
音楽番組だけでなくフジテレビ『ドリフ大爆笑』などのバラエティー番組にも過去に何度か出演しており、清掃員のおばちゃん役など非常にコミカルな中年女性役をこなしている。
さだまさしとはプライベートでもたいへん親交が深く、1993年の『約束』、2012年の『茨の木』、2013年の『蛍前線』はさだの制作曲である。芸能界では小林が先輩だが年下のためにさだのことを『まさ兄』、『お兄ちゃん』などと呼び慕っている仲でもあり、さいたまスーパーアリーナで行われた「さだまさし還暦バースデーコンサート」には総勢60人のゲストの中の1人として出演した。
デビュー以来、長らく演歌を持ち歌としてきたため高齢者層への知名度が高い反面、若年層への知名度は比較的低かったが、1997年に『とりかえっこプリーズ』を発表して以降は若年層への知名度も上がり、小林自身もアニメなど若年層向けのサブカルチャーに関わる楽曲をたびたび発表するようになった。
「さっちゃん」との愛称がある。また、2010年代より紅白でのあまりの衣装の派手さが「まるでラスボス(ゲーム等における最大の敵、最終ボスキャラクター)のようだ」として、ニコニコ動画ユーザーを中心とする若年層ファンから「ラスボス」と呼ばれることがあり、本人は「いいじゃん! ラスボス小林幸子」と面白がっているという[13]。「デビュー50周年全国コンサートには若年層ファンの方も多く訪れてくれるようになってとてもありがたくて嬉しい」とインタビューで語っている。
2013年9月6日には、ニコニコ動画に「【初投稿】ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた【幸子】」のタイトルで動画を初投稿した。これ以外にも動画を投稿しているが、動画の制作にプロダクションではなくニコニコ動画でいわゆる「絵師」として活躍する人などに依頼を行い、コラボレーションの形を取っている。ニコニコ動画との関係は投稿以外にも「ニコニコ超パーティー」への出演がある他、「ニコニコ町会議」への出演を行っている。
プロテスタント系の教会である吉祥寺キリスト集会に所属している姉の影響を受けて、同教会の会員になる。同集会の出版物『光よあれ』に信仰の証を載せたことがある。
 

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