唐沢寿明

简介: 小档案
 
唐沢寿明(からさわ としあき、 - )は、日本の俳優。所属事務所は研音。東京都台東区根岸出身。旧芸名及び本名は唐澤潔。
 身長:175cm
体重:57kg
チェスト:89cm
ウエスト:72cm
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小档案
 
唐沢寿明(からさわ としあき、1963年6月3日 - )は、日本の俳優。所属事務所は研音。東京都台東区根岸出身。旧芸名及び本名は唐澤潔。
 身長:175cm
体重:57kg
チェスト:89cm
ウエスト:72cm
ヒップ:91cm
シューズサイズ:25cm
 
主な受賞歴 
 
 
1991年 第65回キネマ旬報ベストテン 新人男優賞
1992年 第15回日本アカデミー賞最優秀新人俳優賞(『おいしい結婚』『ハロー張りネズミ』)
1993年 エランドール賞 新人賞
2003年 第11回橋田賞
2008年 平成19年度文化庁芸術選奨演劇部門文部科学大臣新人賞(舞台『コリオレイナス』)   
 
 
小简介 
東京都立蔵前工業高等学校中退。
1980年、俳優として活動を始める。東映アクションクラブ(当時最年少16歳で四期生)、ホリプロ(主にレコード会社回り)、三生社(社長は俳優橋爪功最初の妻)を経て、現所属事務所である研音に所属する。
1995年12月15日に女優の山口智子と結婚。
 
大事件 
高校中退で親にも勘当されオーディションにも全く受からず進退窮まった時、プロデューサーのアドバイスでチノパンとポロシャツという出で立ちに路線変更したところ、直後のオーディションで見事1位合格。以後どんどん仕事が入るようになった。本人から「あまり言わなくていい」と言われているため伏せているが、実は爽やかな路線を進言したのは浅野ゆう子である旨が著書『ふたり』に記述されている。そのため現在でも浅野に頭が上がらない。爽やか路線は本人のセンスとは全く違い、内心ダサいと思っていたという。芸名の『寿明』は個人事務所に所属していた時に社長が唐沢に黙って占い師に相談をして名づけた。
デビュー当初は『仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』等の特撮番組に脇役やスーツアクターとして出演していた。『めちゃ×2モテたいッ!』にゲスト出演した当時、「俺はライダーマン役で映画に出ている。銀幕がデビューなんだ。」と自慢して、岡村隆史や加藤浩次に「俳優さんはそんな過去を秘密にするのにいいんですか?」と気をつかわせていた。東映では斬られ役や吹き替え、スーツアクターなどの他に照明や衣装の手伝いなどの裏方もやっていた。
爽やか路線に変更した頃、1992年の人気ドラマ『愛という名のもとに』で演じたエリート好青年の役で一気にブレイクし、雑誌の特集などで『爽やか』『好青年』という代名詞が付くことが多く、女性ファッション誌の人気ランキングにランクインするなど90年代は当時のいわゆる人気若手俳優の一人といった存在だった。
芝居に対して真摯であり、舞台・芝居放映中には「役のイメージが崩れる」として他の番組には出ない。当時人気を誇った『白い巨塔』に関しても、放送終了までNGシーンの放出を許可しなかった。更に、「今日の自分があるのは過去のおかげ」として、キャバレーの客引きをやっていたこと・特撮番組のスーツアクターであったことは積極的に開示している。
映画試写会や舞台発表などで共演者をよくイジる。共演者が熱愛発覚などになると、わざとそのネタを所々で振ってその共演者を焦らせる。妻・山口智子との離婚の噂などが報じられると、「この間、九州の知り合いから『ローカル放送のワイドショーで、山口が離婚届を出しに行くって聞いたけど、ホント?』って言われちゃって、冗談じゃないよ」と否定し、山口がテレビ特番でビキニ姿を披露したことにもふれ、「俺は水着どころじゃないからね。もっと凄いものを見ているから」と言ってバスタオルをはだける仕草を見せて自らネタにした。
ゲーム好きで、声優の仕事を務めたお礼でプレイステーション2を貰ったが、妻に会話がないと怒られることから、ごまかすために家具に見えるようにデザインを木目調にして貰い保有している。車の趣味もあり、トヨタ・2000GTの後期型、アストンマーチン・DB4、ポルシェ・356、ビートルを所有し、ヒストリックカー専門誌の取材も受けている。さらにJAF国内A級ライセンスを所有しており、筑波サーキットで開催されたメディア対向ロードスター4時間耐久レースに池沢さとし等と共に参戦した事もある。過去にはホンダ・NSXの元オーナーで、3台乗っていたことがある。
幼い頃はギャグ漫画家を目指し、「怪傑コチョマン」という漫画を賞に投稿するも、画力の無さから挫折している。
水に潜るのが苦手であり、『CASSHERN』の撮影では苦労したという。
巨人ファンである。宝塚歌劇団も好きで、よく観劇している。宝塚の元男役トップである天海祐希、安蘭けいとは友人であり、天海を研音に誘ったのは彼である。
雑誌のインタビューで、「いい男とは?」という質問に「渡辺謙」と即答している。また一貫して、原点にブルース・リー、俳優を志したきっかけは子供の頃に見た2時間ドラマで悪役を演じていた橋爪功の名を挙げている。
中村勘三郎・市川海老蔵・尾上菊之助などの歌舞伎俳優、宇多田ヒカル・及川光博などのミュージシャン、勝村政信・谷原章介・藤木直人・上川隆也・西岡徳馬・藤原竜也・小栗旬などの俳優ほか、多方面に友人を持つ。上川とは、NHK大河ドラマ『功名が辻』で上川が主演を務めていた頃、上川と食事をした際に「おまえが大河をやるなら出てやってもいいよ」と上川に対して言った。これがきっかけで『功名が辻』にゲスト出演することになったというエピソードがある。
大河ドラマ『春日局』で共演して以来、江口洋介とはたまに飲みに行く仲である。ドラマ『白い巨塔』で共演した際も雑誌の対談で唐沢は共演相手が自分のことをよくわかってくれている江口だから思い切り演技ができると話し、江口もお互いを知っているのは大きいと話していた。唐沢・山口夫妻の誘いで、江口・森高夫妻と反町・松嶋夫妻の3夫妻でバーベキューをしたりと親しくしている。
真田広之のトークイベントにゲスト出演した際、無名の頃に真田の主演舞台の裏方をした時のエピソードを披露、現在も親交がある。集合時間の3時間前から現場入りしてストイックに仕事に打ち込む真田の姿に感動した唐沢は同時に彼の体を心配し、誰からも頼まれていないのにいつでも代役が務められるようにと真田より早い4時間前から現場に入りセリフを完璧に覚えていた。真田も一生懸命な唐沢の存在に気づいていたという。
堺正章主催の新年会では毎年、幹事をつとめている。福山雅治の番組にゲスト出演した際、一緒にゲスト出演した伊藤英明、加藤晴彦とは福山を含めジム仲間であることから大いに盛り上がっていた。
自宅に友人を招くことも多いらしく、樹木希林は電気を、SMAPの木村拓哉は革ジャンを唐沢宅から持って帰った。市川海老蔵は唐沢宅で酔っ払ってしまい、山口智子に帰宅を促され、自分でタクシーを呼んで帰ったという話もある。また、下積み時代に市川海老蔵の父である市川団十郎の妹に日本舞踊を習っていたことから海老蔵のことは彼の小学生時代からよく知っているという。
共演者が唐沢の第一印象について「顔が小さい」と口を揃える。2009年8月29日放送のニッポン放送のラジオ番組『オールナイトニッポン20世紀少年〜最終章〜SP』のコメントで、唐沢本人が頭周りのサイズは54cmであること、子供の時からサイズが合う帽子がなかなか無いことがコンプレックスだったことを発言している。また、Gucciで帽子を試したいと店員に頼んだところ、子供用の帽子を店員に勧められたという話もある。
1994年の舞台『出口なし!』で出会った脚本家三谷幸喜が手掛けた舞台やドラマに頻繁に出演。三谷が監督する映画作品には全て出演している。
2003年のドラマ『白い巨塔』主演の際、原作者の作家山崎豊子に「あなた、財前役をやるなんていい度胸してるわね」と言われた。当初山崎は、役のイメージに合わないという理由で唐沢が財前役をやることに難色を示していたが、唐沢と山崎の初顔合わせとなった食事の席(プロデューサーも同席)で唐沢のことを気に入り、唐沢の起用に納得したというプロデューサーの後日談がある。ドラマを見た山崎は「あなたが財前で良かった。素晴らしかった。感動しました。」と唐沢を評価した。
なお、放送当時、よく喋る明るい性格の唐沢とドラマで演じた財前五郎というキャラクターが正反対であることから「役のイメージを崩さないように唐沢さんは番宣に出ないようにして下さい。」とプロデューサーから番宣禁止令を出された。
このドラマで共演した西田敏行とは食事に行く仲で、60歳を過ぎてもエンターテインメントの第一線で活躍している点など心から尊敬しているという。また、撮影の合間、うんちくで知られる石坂浩二に引けをとらないほどよく喋ることから石坂に引っ掛けてスタッフから「こ石坂さん」と呼ばれることもあった。
2008年3月10日、平成19年度芸術選奨の演劇部門で文部科学大臣新人賞を受賞し、都内で行われた贈呈式に出席した。
TBSのテレビ番組『A-Studio』でのトークによると蜷川幸雄と会食した際「僕の作品にいつか出てくれるといいね」「そうですね」と和やかに話が進んでいたが、唐沢が会食を終え立ち上がると、蜷川に突然「早く(出演)しないと(僕が)死んじゃうだろう!」と大声で叫ばれ、すぐに出演が決まったという。以降、蜷川演出の舞台(特にシェイクスピア原作もの)に数多く出演している。
2011年2月公開予定の映画「太平洋の奇跡」に元ヤクザの軍人役で出演。役作りの為、唐沢自らの提案でスキンヘッドにしたり鳥ささみ中心の食生活に変えて本格的な筋力トレーニングを行って撮影に臨んだ。
結婚 
1988年放送のNHK連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」の共演が交際のきっかけ。唐沢は山口の第一印象を「デカイ女」と自身の著書『ふたり』に書いている。また、山口は唐沢の第一印象を「日本一、顔の小さい男だと思った。握り拳くらいしかない。」と結婚後に雑誌インタビューで語っている。この作品がデビュー作で初主演の山口は、舞台や東映の特撮スーツアクター、スタントや声の吹き替え等で既に下積み経験の長い唐沢に「女優としてやっていく自信がない」などと撮影の合間にたびたび悩みを打ち明けていた。週5日の大阪での撮影中、二人はホテルの内線電話でよく話をするようになったという。撮影終盤のクリスマスに山口からプレゼントを贈られたことや打ち上げの会場に向かう車で初めて二人きりになったことなども著書に綴っている。
1992年、ガムテープと手錠とカメラを持った二人組の男が宅配便を装って山口の自宅マンションに侵入した暴漢未遂事件が発生。この時、唐沢が部屋にいたことで事なきを得たがこの事件で二人の交際が発覚し、事件そのものの衝撃と週刊誌等のマスコミに追われたことで神経がくたくただったが、山口が受けたショックを思うと参ってはいられなかったと著書で振り返っている。
1995年12月13日のスポーツ新聞の一面に入籍報道が載ったがその翌々日の15日に入籍・記者会見の予定だったことから驚きはしなかったという。1995年12月15日、7年間の交際を経て山口智子と入籍、同日フジテレビにて二人で記者会見を行った。
記者会見でお互いどんなところが良かったのかという芸能レポーターの質問に唐沢は「普通の感じの女性で、家のこともちゃんとやる人だから。」「料理が上手」などと答え、山口は「世界で一番幸せだと思っています。」「仕事に対する姿勢を尊敬しています。」などと答えていた。結婚でショックを受けたお互いのファンに対してどう思うかと聞かれると「たまに貸し出しますよ。」と答えるなど、終始、唐沢が芸能レポーターたちを笑わせる会見となった。また、唐沢は同日に放送された明石家さんまの番組『みんなでイイ気持ち』に出演し、さんまのインタビューを受け、交際中の秘話や結婚までの道のりを語った。さんまの事務所の女性スタッフが唐沢の大ファンでショックを受けているとさんまに言われると「ありがたいことです。だけど、もういい大人なんで。」と答えていた。
結婚以降、山口は女優活動をセーブしているが2005年にゲスト出演した『スタジオパークからこんにちは』で司会のアナウンサーに「奥様はお元気ですか?『家にいろよ』とかおっしゃっているんですか?」と聞かれ、「それは無いです。良かったら何かドラマの企画書を出して下さい。」と答えていた。
夫婦仲は極めて円満で、現在も、撮影現場には山口の手作り弁当を持って通っている。