岩崎良美

简介: 小档案
姓    名 岩崎良美
日 文 名 岩崎良美(いわさき よしみ)
出生日期  
出 生 地 日本东京都江东区
血    型 O型
毕业学院 堀越高等学校
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小档案
姓    名 岩崎良美
日 文 名 岩崎良美(いわさき よしみ)
出生日期 1961年6月15日 
出 生 地 日本东京都江东区
血    型 O型
毕业学院 堀越高等学校
职    业 歌手、演员
事 务 所 ノックアウト
代表作品 邻家女孩、女太阁记、家族善哉
艺人简介
日本知名的实力派女歌手及演员,隶属于青年座映画放送部(演员活动)及agense de 原生林(音乐活动)。她的姊姊岩崎宏美也是女歌手。而她的代表歌曲是电视动画《邻家女孩》主题曲著称,另外她也演唱了若干首的广告歌曲。
 
プロファイル
名    前 岩崎良美(いわさき よしみ)
誕 生 日 1961年6月15日 
出 身 地 日本東京都江東区
血 液 型 O型
卒業学園 堀越高等学校
職    業 歌手、俳優
事 務 所 ノックアウト
アーテイスト紹介
岩崎良美(いわさき よしみ、1961年6月15日 - )は、日本の歌手、女優。東京都江東区出身。血液型O型。堀越高等学校卒業。歌手の岩崎宏美は実姉。
1980年2月21日に「赤と黒」で歌手デビュー。代表曲は「涼風」「I THINK SO」「タッチ」「愛がひとりぼっち」「青春」など。現在の所属事務所は株式会社ノックアウト。
初期からニューミュージックの作家を多数起用し、フランス文学路線、ヨーロピアン路線、アダルト・コンテンポラリー路線など伸びやかな歌唱力と洋楽志向である本人の音楽的センスを活かした作品を次々と発表。音楽性の高さからニューミュージックのアーティストの中にもファンがとても多かったが、アイドル全盛の当時はわかりやすい楽曲が売れ線であり、アイドル歌手ではほとんど例のないアルバム先行で制作されたこともあって「岩崎良美は先を行き過ぎていて難しい」と評論家に言われることも少なくなかった。
デビュー6年目、それまでとは大きく路線を変えた「タッチ」など康珍化・芹澤廣明コンビによる作品がヒット。一方で、これ以外の路線にこそ良美の本質的な魅力があり、評価されるべきだという声もある。
歌手活動を再開するにあたって、本人が昔からジェーン・バーキンの歌を聴いていたことや、精神面で強くなりたいという思いを抱いていたことから「ヨーロッパの風が吹くような、自立した女性を応援するような歌を歌いたい」と思い、フランス語やシャンソンを学んだと語っている。
特技は剣道、乗馬。中学時代はテニス部に所属しており、いずれもテレビCMや雑誌で披露することがあった。
アイドル時代の趣味はお菓子作りで、手作りの菓子を現場のスタッフや共演者に差し入れることがいちばんの楽しみであった。趣味を生かしたレシピ本を出版したこともある。最近はスキーが良美のなかの
マイブームとなり、スケジュールをぬってスキーを楽しんでいる。
幼少期から自宅で犬、猫、鳩、キジ、鶏などを飼っていた影響もあり全般的な動物好きである。また父親は無口で非常に厳しい人であったが、動物と接するときの父の目が優しかったことから、動物好きの男性を理想とするようになった。入籍時の夫も良美と同じく猫を1匹飼っており、結婚後は夫の猫を含めた2匹の猫を飼っていた。現在はアメリカンショートヘア、シャルトリュー、アメリカンカールの3匹の猫を飼っている。
元祖「水着にならなかったアイドル」であり、雑誌のグラビアでは水着姿を一切披露せず芸能人水泳大会にもTシャツ姿で出場していた。当時はグラビアアイドルというジャンルが確立されておらずアイドル歌手の売出しには水着が必須であったため、良美の水着拒否は異例のことであった。この理由に関してはインタビューや篠山紀信との対談で、所属事務所との当初の契約であること、肌を露出するのが苦手であることを話していた。
デビュー当時から特に仲の良かった松田聖子、鹿取洋子は良美について「繊細でとてもナイーブな人」「話していて落ち着く」と語っている。両者はデビュー同期で学年も同じである。
人見知りな性格だが活発な面もあり、ドラマなどで共演した伊東四朗は良美の性格について、おしとやかで良家の子女という感じだったため、どうしてこんな子が芸能界に入ったのかと悩んだが、親しくなるうちに、よく喋りよく笑うおきゃんな一面に驚いたと語った。
結婚が報道された際、いわゆる「熱愛報道」がこれまでなかったことが伝えられ、かつて語った結婚観が紹介された。
杉本哲太が食事に誘った際、二人で会うことを躊躇した良美が友人の女性を連れて行ったため、三人で食事をしたことがある。この女性はのちに杉本の妻となる神津はづきで、これが両者の初対面の場になった。
朝日放送の音楽祭で優秀賞・最優秀歌唱賞を受賞した際、舞台上では平気だったが、飛行場まで見送りに来て祝福してくれたファンを見て泣いてしまった。
幼少期、友達の家に行くにはひまわり畑を通らなければならなかったが、姉の岩崎宏美に「ひまわりは近くに来た小さな子どもを食べる」と教えられ、そのときの恐怖から長い間ひまわりが苦手であった。のちのトーク番組で、宏美がこの発言をしたのは、仲の良い妹に友達ができて、妹を取られるように感じたためだということが明らかになっている。
横浜に住む叔母夫婦に子供がいなかったため、我が子のように可愛がられていた。叔父が船の仕事で長期間不在になりがちであったことから、良美はなおさら叔母のそばにいたがり、幼い頃は半分以上叔母に育てられたようなものだという。「いちばん好きな人」としても叔母を挙げていた。
あだち充は良美のファンであることを公言しており、のちに『タッチ』の主題歌を良美が担当してから現在まで親交が続いている。
略歴
1961年 6月15日、木材機械輸入販売会社の経営者の三女として誕生。成城学園入学後、歌のレッスンを受け、次姉の岩崎宏美と同じく松田敏江に師事する。歌のほかに剣道、テニス、乗馬を習い、父親の方針通りスポーツにも励んだ。
1975年に姉の宏美が歌手としてデビューし、いきいきと仕事をする姉への憧れから歌への関心をいっそう強めていった。姉と一緒にいたところがテレビ局のプロデューサーの目に留まり、芸能界入りを希望するが父親の反対を受ける。その理由は良美の性格が内向的であること、一家に芸能人が二人も居るのは両者や家族のために良くないということであった。
しかし恩師である松田敏江の後押しもあって堀越高等学校2年の時に時代劇『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』で芸能界デビュー。1980年2月21日には「赤と黒」でキャニオンレコードより歌手デビューした。 「涼風」でTBS系『ザ・ベストテン』にランクインを果たし、同年の第6回日本テレビ音楽祭で最優秀新人賞を受賞。「あなた色のマノン」では日本レコード大賞などで新人賞を獲得。大晦日には『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場。姉・宏美との姉妹同時ソロ出場は紅白史上初であった。
子どもの頃から現在までおとなしく女性らしい性格であるが、デビュー後は楽曲制作に関してしっかりと意見を述べ、意志の強い一面も見せ始める。当時の担当プロデューサーである渡辺有三は、作品づくりにおいて、この点に大きく影響を受けたと語っている。
1984年ごろから俳優としての活動も増え、 同年は山田太一ドラマ『真夜中の匂い』、『スクール☆ウォーズ』にレギュラー出演した。
1985年、20枚目のシングル「タッチ」が自身最大のヒット曲となり、年末に開催された『第27回日本レコード大賞』で金賞を受賞。翌1986年には「青春」が 選抜高校野球大会の入場行進曲に起用された。
歌手としてヒットにも恵まれたが、姉との比較に悩み、大好きだった歌が次第に楽しく感じられなくなっていったという。1989年8月に「硝子のカーニバル」、翌9月にアルバム『月夜にGOOD LUCK』をリリースしてからは、芸能活動の主体を舞台やドラマ出演に移し、多数の作品に出演した。
主演ドラマでは、1990年に出演した朝の連続ドラマ『花真珠』が海外でも放送されヒットする。本作品は「清楚さと現代的なセンスを兼ね備えているため、真珠のイメージに合う」ということでの起用だった。
1994年、舞台『ヴェニスの商人』に出演し、本作品の英国人演出家との出会いがきっかけとなって、以前のように「うまく歌わなくてはいけない」とばかり考えずに、今の私だから歌える歌があるかもしれないと思うようになったという。再び歌にも気持ちが向かうようになり、1998年11月に歌手復帰第一作となるシングル「Message」を発表。2001年のシングル「鳥になって」からはフレンチポップスがレパートリーに加わった。当時は「フランス語をまだ形にできていない」としながらも、テレビでは歌番組のほか語学番組でも歌唱を披露した。
歌手休業前には一緒に歌うことがほとんどなかった姉・宏美との共演の機会も増え、2008年に公式では初めてとなるジョイントコンサートを開催(岩崎宏美・岩崎良美 Precious Night プレシャスナイト)。
歌手デビュー30周年となる2010年には多数のライブを行い、取材には、歌にも芝居にも前向きな時に節目を迎えられてうれしいとコメントした。2011年にはプロデューサーに長岡和弘を迎え、初のカバーアルバム『色彩の主人公』を発表。2014年2月から渋谷JZBratでの100名限定ライブをスタート。Yoshimi's Nightシリーズ、Un Voyage avec Yoshimi シリーズは連続前売り完売と、今なおその歌声の人気は高い。 歌手デビュー35周年の2015年12月のライブで初披露した良美自身が作詞の「My Life」(作曲・編曲は椿本匡賜)は日本ラグビーフットボール協会公認の7人制女子ラグビー大会の公式応援ソングとなった。
歌手活動の他、俳優業ではストレートプレイだけでなくミュージカルにも出演し、ナレーターとしても多くの番組でその実力が認められている。
私生活では、2011年10月に3歳年上の医師と結婚した。
 

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