THE BLUE HEARTS

简介: 小档案
甲本ヒロト(こうもと ひろと) - ボーカル・ブルースハープ・ギター
愛称はヒロト。低音の効いた太い声が特徴。たまに吹くブルースハープは独学でかなりのレベルだが、ベント、トレモロ等の技術は「偶然出来た」と本人。ギターもたまに弾くことがある。TVなどの 更多>

小档案
甲本ヒロト(こうもと ひろと) - ボーカル・ブルースハープ・ギター
愛称はヒロト。低音の効いた太い声が特徴。たまに吹くブルースハープは独学でかなりのレベルだが、ベント、トレモロ等の技術は「偶然出来た」と本人。ギターもたまに弾くことがある。TVなどのインタビューで答えるのはほとんど甲本が担当。初期は坊主頭だった。ちなみに、岡山出身で訛りがある。
真島昌利 (ましま まさとし) - ギター・ボーカル・コーラス
愛称はマーシー。いつも叫んでいるかのようなしゃがれ声が特徴。他の3人に比べればTV等に出演してもあまり喋らず表情を変えないことが多い。甲本とはおよそ半々の割合で曲を創り上げた。正確には、真島の方が若干多い。
河口純之助 (かわぐち じゅんのすけ) - ベース、コーラス
愛称は河ちゃん。本名は河口宏之(ひろゆき)で、デビュー前は本名を名乗っていたが、デビュー直前あたりから純之助を使用する。ベース以外にも真島とともにコーラスを多く担当し、他の2人に比べ高い音を出せることから、主に高音パートを担当し、曲に彩りを与えた。
梶原徹也 (かじわら てつや) - ドラム
愛称は梶君。元々はブルーハーツのファンで、ライブのモギリ等をやっていたが、ドラム脱退を知りヒロトの自宅にしつこく電話してオーディションを受けさせてもらい、86年4月に正式メンバーとなる。デビュー時からのモヒカンヘアーが特徴。バンド活動後期には腰を痛めたこともあり、この時期にはモヒカンを長髪にして、結っていたこともある。
小简介
THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、日本のパンクロックバンド。1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、1995年に解散した。
大事件
1985年
1月5日(1984年12月24日説も)、前日にTHE BREAKERSを解散した真島が、同時期に解散したザ・コーツの甲本に「バンド一緒にやらないか?」とでブルーハーツ結成の話を持ちかける。
2月、甲本と真島を中心に結成される。結成当時のメンバーは、Vo.甲本ヒロト G.真島昌利 B.望月正水 Dr.英竜介。
4月3日、新宿ロフトで初ライブ。チケットはドリンク付きで1,000円。
6月、望月脱退、正式メンバー決定までの間、コーツ、グレイトリッチーズ、ディープ&バイツで活動していた山川のりをが一時的にベーシストとして参加。
8月17日 渋谷屋根裏、それまでマネージメントを行っていた河口が正式加入。
12月24日今は亡きライブハウス、都立家政スーパーロフトにて初ワンマン・ライブ「世界一のクリスマス」256人動員。全レパートリー21曲を熱唱。
1986年
3月20日、アトミック・カフェ・フェスティバル出演。プロバンドの中に混じりアマチュアバンドで唯一出演。
3月21日 目黒鹿鳴館「Bright Lights Beat City」を最後に英脱退。
4月2日 渋谷屋根裏から梶原が正式加入。
5月19日 テレビ初出演。 テレビ東京“スーパーマガジン・すばらしき人生”
6月9日 目黒鹿鳴館にて2度目のワンマンライブ「人にやさしく」、489人動員。1985を除く全レパートリー24曲を演奏。
1987年
1月 「ハンマーツアー」スタート。
2月25日、自主制作シングル「人にやさしく/ハンマー」発表。
5月1日、シングル「リンダ リンダ/僕はここに立っているよ」でメジャーデビュー。
7月4日 日比谷野外音楽堂にてライブ。チケットは即日ソールドアウト。3382人動員。
10月1日、初の全国ツアー「ドブネズミツアー」敢行(全40公演)。
1989年
8月16日、初の海外ツアー「PORTLAND TOUR'89」敢行。
9月、レコード会社をメルダックからイーストウエスト・ジャパンに移籍。
1993年
10月25日、通算17枚目のシングル「夕暮れ」発売。事実上THE BLUE HEARTSとしての最後のシングルとなる。
1994年
8月13日、長野県 科野の里歴史公園「あんずの里ロックフェスティバル」にて最後の出演。これが事実上ブルーハーツの最後のライブとなる。
1995年
所属事務所から独立。甲本と真島が代表となって有限会社ハッピーソング設立。
6月1日、NHK-FMの音楽番組ミュージックスクエアで解散発表。(出演部分の収録は5月17日)
7月10日、ラストオリジナルアルバム『PAN』発売

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