Number Girl

简介: 小档案
向井秀徳
ボーカル、ギター担当。現在はZAZEN BOYSでギター、ボーカル、キーボード担当として活動している。
田渕ひさ子
ギター担当。現在はbloodthirsty butchersでギター担当として、toddleでギター 更多>

小档案
向井秀徳
ボーカル、ギター担当。現在はZAZEN BOYSでギター、ボーカル、キーボード担当として活動している。
田渕ひさ子
ギター担当。現在はbloodthirsty butchersでギター担当として、toddleでギター、ボーカル担当として活動している。
中尾憲太郎
ベース担当。現在はサポートベーシストやMASS OF THE FERMENTING DREGSのプロデュース等を行っている。
アヒト・イナザワ
ドラムス担当。現在はVOLA & THE ORIENTAL MACHINEでギター、ボーカル担当として活動している。
小简介
ナンバーガール(NUMBER GIRL)は、1995年8月に福岡で結成され、2002年11月30日に解散した日本のロックバンド。
1995年、バンドを結成するまで宅録でやっていた向井秀徳がバンドを組もうと決意し、当時ライブハウスで照明のアルバイトをしていた中尾憲太郎を誘う。その中尾がライブを観て是非組もうと思っていたのが田渕ひさ子であり、そのまま田渕も呼ばれることになる。その後、昔からアヒト・イナザワのドラムスタイルに惚れ込んでいた向井が、アヒトが参加していたバンドを脱退したことを聞き彼をさそい、メンバーが揃う。結成当初から地元福岡でチェルシーQなどのイベントを中心に精力的に活動しつつ、1996年『Atari Shock』や1997年『omoide in my head』など、自主制作カセットテープを作成及び販売する。1997年11月、アンダーグラウンドシーンのカリスマとも呼ばれる羽生和仁氏主宰の福岡のレーベル、automatic kissから1stアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』をリリース。「Omoide In My Head」や「Iggy Pop Fanclub」などバンドを象徴する代表曲が収録されていることからも、1stアルバムから彼らのスタイルが確立されていた事が伺える。
1998年に上京したナンバーガールは東京でも1年目から40本近いライブを行い、翌年にはアメリカ合衆国オースティンでのライブも成功させている。また、前述の『SCHOOL GIRL BYE BYE』を東芝EMIのスタッフが購入した事がきっかけとなり、ナンバーガールは東芝EMIと契約、1999年5月に、メジャーデビューシングル「透明少女」を発表し、1999年7月にはメジャー1stアルバムとなる『School Girl Distortional Addict』を発表する。その後ライジング・サン・ロック・フェスティバル参加や、bloodthirsty butchersとのツアーを経て、ナンバーガールライブシリーズ『Distortional Discharger』を遂行、その最終日のライブをそのまま収録したライブ・アルバム『シブヤROCKTRANSFORMED状態』をリリース。
MAXI SINGLE 『DESTRUCTION BABY』から、デイヴ・フリッドマンをプロデューサーに起用、アメリカ合衆国ニューヨーク州フレドニアで行われた。通算3枚目のアルバムとなる『SAPPUKEI』もデイヴ・フリッドマンプロデュース。『SAPPUKEI』リリース後、ナンバーガールは『Number Girl Tour Sappukei』を遂行する。その後も、eastern youth主催の対バンライブ『極東最前線』やROCK IN JAPAN FESTIVAL参加、bloodthirsty butchersとのツアー『Harakiri Kocorono Tour』、ワンマンツアー『Inazawa chainsaw』など多数のライブを行っていく。精力的なライブ活動は2001年も続き、その間ライブ記録作品『騒やかな演奏』やライブ会場限定販売カセットテープ『記録シリーズ』をリリースする。
2001年の末頃、ナンバーガールはスタジオ盤としてはラスト・アルバムとなる『NUM-HEAVYMETALLIC』のレコーディングを開始する。デイヴ・フリッドマンを三度プロデューサーとして迎えたこのアルバムは、年をまたいでの2度にわたる渡米の末、完成をみた。
2002年4月、『NUM-HEAVYMETALLIC』をリリースしたナンバーガールは全国ツアーを行い、同年9月にオフィシャル・ウェブサイトにて突然の解散を発表する。解散の理由として「ベースの中尾から別にやりたいバンドがあり、ナンバーガールからの脱退を希望。メンバー及びスタッフで話した結果、中尾、田渕、イナザワ、向井の4人でナンバーガールである、という共通の意思が強かったから」という説明が発表されている。ナンバーガールは解散発表前に計画されていた全国6カ所のツアー『NUM-無常の旅』を行い、最終日、札幌PENNY LANEのライブをもって解散した。ラスト・ライブとなったこの演奏は、ライブ・アルバム『サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態』に収録され、リリースされた。
ナンバーガール解散後、メンバーはそれぞれ音楽活動を続けている。向井はZAZEN BOYSを結成するとともに、向井秀徳アコースティック&エレクトリック名義でソロでも活動中。イナザワはナンバーガール解散後は向井とともにZAZEN BOYSに参加するが、2004年末で脱退。その後、イナザワがリーダーとなりボーカル、ギターを担当するVOLA & THE ORIENTAL MACHINEを結成。精力的に活動している。田渕はbloodthirsty butchersに参加。また、自身がボーカル、ギターを務める4ピース・バンド、toddleでも活動中。中尾は自身のリーダー・バンド、Sloth Love Chunksを結成。その他、元COWPERSの竹林現動率いるSPIRAL CHORDにも参加していた。
1980年代、90年代のピクシーズ、ソニック・ユースなどのオルタナティブ・ロックの影響を受けたといわれる、いわゆるギターロックである。1999年に発表されたシングル「DESTRUCTION BABY」あたりから、ダブ、レゲエ的な音響処理が用いられるようになり、ポストパンクを思わせるギター・プレイが色濃くなっていく。コンピレーション盤『極東最前線』に収録された「TOKYO FREEZE」においては、向井独特のラップを披露し、以降のボーカル・スタイルの雛形となる。ラスト・アルバムとなった『NUM-HEAVYMETALLIC』においては、祭囃子的な和の要素を取り入れたサウンドを展開する。

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